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自意識を操る!

どうも自意識過剰男

けんすいまにあです。

今回は自意識について

前回の記事で「ドーパミンを操る!」という記事を書き

その記事が結構人気だったので

第二弾。

もし読んでいない方がいらっしゃったら読んでみてはいかがでしょうか?

まだ読んでいない方はぜひ

今回は物質ではなく心のこと

思考、考え方についてのお話です。

僕が実践し始めたすぐに体験できる方法もご紹介します。

さて

みなさんは自意識をお持ちですか?

自意識とは

「私はこう考えた、俺はそう思った。などなど自分、、そう自分が自分であるという意識のことです。」

人間は自意識があるからこそ

技術を後世に伝えることができました。

自意識があるからこそ

失敗を繰り返すことなく

成長を遂げることができました。

自意識は人間が人間たらしめる上で

なくてはならない

一つの要素です。

しかしながら僕たちは自意識に息苦しさを感じ

猫や犬など

自由気ままな動物たちを見ると

”羨ましく”感じることがあります。

そう

自意識は時に害を生みます。

被害妄想を生みだすことで他人から攻撃されるのではないか?と心配で外も出れない。

そうなってしまうととても生きづらくなってしまいます。

しかし自意識がなさすぎると主体性が育まれずに

自分の決断であっても

まるで他人事のように無責任に振る舞えてしまう

それでは本当に自分の人生を生きたと胸を張れるのでしょうか?

そんな、有りすぎても無さすぎても害になる。

自意識の取り扱いについて僕が思うことを今日はお話ししていきたいと思います。

自意識を薄める必要性

さてそんないい塩梅が求められる

自意識の取り扱いについて

僕がとても最近感じることがあります。

それは自意識の薄め方についてです。

僕はとても自意識過剰なところがあります。

たとえば恋愛なんかは僕には向いてないんじゃないかと思うくらい

自意識がもたげると

とたんに横柄になってしまったり

相手に嫉妬してしまったり

距離が近くなりすぎてしまったりします。

それは自意識によって自分という存在が今この瞬間ではなく

どこか遠くの未来や過去に縛られてしまうからです。

遠くの過去の出来事を引っ張り出して不安に感じてしまうことで

相手に嫉妬してしまったり

未来のことを憂いてしまったりします。

自意識に囚われると人は途端に身動きが取りづらくなります。

それは過去の記憶や

将来の妄想からくる不安によって

僕らの無意識は行動の選択肢を安全なものにとりかえてしまうからです。

今この瞬間に自分の意識が集中していると

自意識に囚われることは少なくなります。

僕はとても息苦しさを感じた一時期に

自意識の薄め方について学ぶことができました。

そうすると最近では対人恐怖に支配される自分を認識することができ

対策を打つことができるようになったのです。

生きづらさを感じたら

自意識が過ぎると生きづらくなります。

どうしても生きづらくて悲しい

どうしていいかわからない

そうなった時は自意識過剰を疑ってみてください。

僕らは固定観念に縛られて生きています。

むしろ固定観念があるからこそ

自分を自分たらしめるというくらい

あたりまえに自意識からくる固定観念に縛られるのが人間です。

自意識が強くなり過ぎると

固定観念にとらわれている自分をもっと強く縛ります。

そして固定観念に縛られいてるということさえも見えなくなる。

だからこそ自意識を薄める技術が必要だと僕は思います。

ここからは自意識を薄める方法として僕が実践していることをご紹介します。

<自意識を薄める方法>

  • ヴィパッサナー瞑想をする
  • 掃き掃除をする

僕が思うにこの二つが色々やってみてかなり効果があるとおもいました。

さて一つ一つ説明していきましょう。

ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナー瞑想とは?

これは、自分を実況中継することで

妄想から脱出し今の自分に立ち帰る

瞑想方法です。

一般的な目を瞑ってあぐらをかく瞑想とは違い

どこでもできるのが特徴で

散歩中や掃除中など

とにかく自分がしている行動ひとつひとつを頭の中で実況するという

なんともおもしろい瞑想なんです。

でもこれをやってみるとわかるように

意外と続けるのが難しいんですよね

そしてどれだけ普段頭の中で

あれこれ妄想を思い浮かべているのか

実感できます。

例えば、散歩中僕は左足を今上げました。

そして左足をおろして地面に着地したと同時に右足を上げようとしています。

みたいなかんじです。

ちなみに超絶スローモーションでやるのがとても効果的みたいです

周りからの目線など気にならないところでやるのをお勧めします笑

掃き掃除をする

これは完全に僕の体験談なのですが

最近僕は毎日起きたら掃き掃除をします。

部屋と

アパートの廊下を履いています。

これのおかげで

なんだか汚いところよりも綺麗なところが好きになっていった気がします。

例えば道端でゴミが落ちていて

ゴミ箱が目視できる位置にあったとします。

そしたら以前だと意識してゴミ拾いをしていたところが

ゴミが落ちている状態が気持ち悪くて拾うようになりました。

感覚の違いですが

以前はなんだか他人の目を気にして偽善的にやっていたような

もしくはゴミを拾うことで心を綺麗にして幸せになるぞぉなんて

一周まわった下心を出していたような気がしてたんです

「やらない善よりやる偽善」なんて自分の心に言い聞かせながらやってました。

でも最近は自分の部屋を掃除するのが普通だと思うように

ゴミが落ちていたら拾う

そんな息をするようにゴミを拾うようになったんですよね

流石にベチャベチャな鼻かみティッシュを拾おうとは思いませんが

しかしこの些細な心の違いが

生活の根底にある動機というか心の支えになっているような気がします。

人によっては当たり前だ!なんて言われるかもしれませんが

さっこんルンバが部屋の掃除を担って

人間の手で掃くなんて時代遅れだ!なんて言われてもおかしくないかもしれませんが

ちょっとだけ掃き掃除やってみてはいかがでしょうか?

徐々に落ちていくのと一緒、徐々に回復していく

心の問題というのは

一気に回復するものじゃありません

むしろ一気に良くなった時は一番要注意です

躁転といって躁状態(鬱状態の反対側)、気分が異常にハイになっているとき

人はなんでもできると思って取り返しのつかない決断や行動に出てしまいます。

なので心は徐々に良くなっていく

そう思いながら日々の生活の根を生やす

そんな方法を

地に足をつける方法を模索していきたいですね。

ここまでみてくれてどうもありがとうございます。

懸垂マニアでした。

ではまた、

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