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自分と他(社会)の境界線をつくる

自分を大切にしすぎて”死の恐怖”に囚われ身動きが取りづらくなる、取れなくなる。

他人を大切にしすぎて自分を蔑ろにすることで自分の首を絞める、生きづらくなる。

自他とのバランス感覚というのは

とてもじゃないけど、言葉で伝えられて”教えられて”身につくモノじゃないと思います。

しかしながら自分の感覚と対話して真っ暗闇のなか

手探りで見つけていくしか方法はないのでしょうか?

それは一見辛く苦しい道のりのように思いますよね、、、

この自他とのバランス感覚を身につけるには

苦行を行えといっているのではなく

群れで生きてきた人間という生き物の構造上

社会との交通の中で恩恵を見出して

”上手く”エネルギー補給をする必要があるからです。

自分を壊さないために

そして社会を存続させていくために

これは赤ちゃんが立って歩けるようになるために

二足歩行を身につけると同様に

自分の中で育んでいく必要があります。あると思います。

必須の能力の一つと言っても過言ではないと思うのですが、どうでしょうか?

恨み言に疲れたら、これからは自分の人生だ

さて個人的な話になりますが

そろそろ”母”に対する恨み言に疲れてきたところでして

二年間つらつらと恨みつらみを書いたり思ったりして

今は着信拒否をして

半絶縁状態なのです。

自分の中で消化しきれないうちに

「私のことはもう忘れて自分の人生を生きなさい」

などと言われたからこそ

合理的判断としてではなく

燃え尽きるまで恨んで憎んで怒ってやろうと思った次第です。

でも心の底では感謝していて、感謝したいと思っていて

自分の人生を生きたいと願っていて

社会との交通を持ちたいと思っていて

そろそろ恨むのには疲れたから

前に進みたい。

明日ロシアからの核爆弾を受けて木っ端微塵になろうと

自分の人生を生き切ったと思いたい。感じたい。

そう思った次第です。

これからはどんなことがあろうと自分で決めたこと

自分で決めたからこそ

自分に対しても他人に対しても

「人間」にたいして責任(=人が求めた時に、その要求に応じる準備があるということ、要求に応じることができるということ)

が生じる

これまで”責任”というと、やりたくもないことをやらなきゃいけないということだと

教わってきました。

しかし全く違いました。

ただ自分にも他人にも同じく

求められた要求を

精一杯できる範囲の中で応じるということ

その”覚悟”こそが”責任”なんだと感じました。

”自意識を正しく持つこと”と”自他との境界線を持つこと”は似ている。

自分の人生を大切に生きたいからこそ

社会との関わりの中で

自他の境界線が必要になってくる。

これは一見すると

“自意識"

つまり自分が自分であるという意識を

しっかり保つことが大切だと言っているように思います。

しかしながら自意識とはやっかいなもので

自分が自分であると思い過ぎると

これまた自分に意識が集中しすぎて

他人との関わりの中で恩恵を受けづらくなる

これは恥をかくからやめなさいと

教わることから自意識が過度に強化され

やりたくないことをやりたくないといった

子供のこころを蝕んばまれた日本に住んでいる

大部分の人に

少しは共感できる話なのではないでしょうか?

ただ、”やりたい”

からと言ってサッカーボールじゃなくて

人の足を蹴り上げたら怒られます。

社会からの恩恵とは

上手に自分以外の人と付き合っていきながら

自分のやりたいことをやる技術みたいなモノだと思います。

例え話ばかりで話がこんがらがるかもしれませんが

街中でこんな人を目にしたことありませんか?

自意識が過剰になって

少し目があっただけで顔をつけられた

なんて思って怒っている人を

怒りを持つことは自分を蔑ろにされて

権利を剥奪された時には、大事ですが

このような誤解からくる

不用な怒りはトラブルを招きます。

今この瞬間に意識を集中させることで

今の自分が感じたものを汲み取って行動していく

こうすることで自意識を持ちすぎず放棄することなく

社会と関わっていけると僕は信じています。

「自意識」を薄める方法など自意識について書いたブログはこちら↓

体や心を壊すことなく

社会との関わりをもって人生を豊かにしていきたいですね。

ここまでみてくれてありがとうございます。

けんすいまにあでした。、

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