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”客観性”と”他人の目を気にする事”の明確な違いとは何か?

どうも

愛に目覚めた男、けんすいまにあです

今日は”客観性”と”他人の目を気にする事”の違いについて

考えていきたいと思います。

結論から言います

「痛みを覚悟しているかどうか?」の違いだと思いました。

ここからはこの結論に至った理由

僕が思う客観性とは

これはかなり難しい問いだと思いました。

僕が思うに客観性とは

思いやりが根底にあると思いました。

自分のことだけでなく

他人のことを本気で気遣う気持ち

その気持ちがあるのが客観性です。

客観性は理性と謙虚さによって下支えされていると

フロムは言いました。

相手を利用するという意図が含まれていない”愛”に

通じているのが客観性です。

客観性をもつことは

恐怖でもあります。

自分が信じた行為が裏目に出て

拒絶されるかもしれない

そんな恐怖に打ちひしがれて

信念に基づいた行為をやめてしまうのは

客観性ではありません。

他人の目を気にするとは

そして”他人の目を気にする”とは

根底には羞恥心がありやはり恐怖があります。

他人と違うことをするのは怖いことです。

ましてや集団教育になれていて、

和を重んじる日本人であるとなおさらです。

しかしながらそんな恐怖をもろともせずに

自分の信念に基づいた行為を

率先して実行することができるのが”愛”であり客観性です。

そして

その行為を恐怖心や羞恥心によってやめてしまったり

自分の信念を曲げてしまうことで

他者を利用するような

目先の快に飛びついてしまう

それが”他人の目を気にする”という

少しネガティブな表現で表されれる

思考なのではないでしょうか?

回りくどくいったけど

結論は恐怖を克服しているかどうか

恐怖の底には痛みがあると思います。

和を乱すなという強烈な”羞恥心”の磁場を

もろともせずに痛みを覚悟して

自分の中の愛に基づいた行動をするための

”客観性”なのか

そういった痛みや恐怖に打ちひしがれてしまい行動を曲げてしまう

”他人の目を気にする”という自動思考からくる行動なのか

その区別はとても難しいものです。

言(い)うは易(やす)く行(おこな)うは難(かた)し

行動をするということが大事なんだなぁ

行動が自分の利益にだけに基づいているものなのか

愛にも基づいているものなのか

そんなふわっとした問いでしたが

僕の見解はこんなかんじ、さて今日も街に出ようか・・・

ここまでみてくれてありがとう

けんすいまにあでした

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