最近の投稿

自分以外の誰かに向けて”言い訳”しなくても、生きていいんだと思えるようになるのだ

どうも

希死念慮に求愛されている

けんすいまにあです。

昨日ひさしぶりにあきらかな希死念慮(死にたいと思うこと)が出たので

うんうんとうなずきながら

公園のベンチで30分くらい寝て

激辛カップ麺を食べたら治りました

今日16時間35分という

超睡眠をとった後

とても気分がよくて

こうやってブログを書いています

ふとおもったこと

そしてふと思ったことがあります

それは、自分は

ポイント

いつも自分以外の誰かに責められていて、それに対して言い訳をしている

と、

本当に無意識なんですけど

やっぱり無意識の中に

自分以外の誰かから受け取ったメッセージに

従って生きている自分がいて

その自分が本来の自分に対して

言い訳を言っているのではないかと思いました。

もしくは本来の自分が

自分以外の誰かになること

そんなメッセージに従うことへの

”安心感”を頼りにしたくて

誰かから受けたメッセージに従っている

そして本来の自分を曲げるために

自分はこれでいいんだと

自分ではない誰かに向けて

その不安を解消しようと

声高らかに発言している

そんなふうに思いました。

自分以外のだれにもなれないことを認める

まずは自分は自分だというとを

認める必要があると思いました。

それは同時に誰かから

こんなふうに”生きたらいいじゃないか”と

向けられた”メッセージ”

自分が”こうしたいんだ”と

思ったことを

ポイント

区別する必要があると思いました。

もちろん”こういうふうに生きたらいいじゃないか?”

というアドバイスを真っ向から否定する必要はありません

なぜなら自分の中の”主体性”は

もうそのアドバイスに向けて

全力で否定しようとしているからです。

だからそのアドバイスが

本当に的を得ているものなのか?

そして自分がしたいと思えるものなのか?

捉え得る為に

客観的に

”その決断が”

”正しいものだ”

と判断するために

まずはそのアドバイスを

自分の中から出てくる”本心のしたいこと”と区別する必要がある。

そのアドバイスは本心ではなく

自分が受け取ったメッセージであるという事実に

気がつく必要があります。

自分の主観だけを頼りにしていると壁にぶつかる

僕はホームレス時代

自分さえ信じれなくなりました。

そしてホームレス明け

今度は自分”しか”信じれなくなりました

そのときはもう何がなんでも

自分の判断だけを信じると

自分の感情だけが自分であると

そんなふうに生きていました。

しかし

そしたらかなり生きづらくなりました。

生きてはいける、

でもとても生きづらい

苦しい、孤独だ、不安だ

まぁ昔からそんなふうに生きていたなと

思ったのですが・・・

本当の意味で生きやすく

自分が自分の為に生きるというのなら

最終的には

自分の主観から抜け出し

客観的に自分の選択を判断していく

必要があると思いました。

それは前に行った通り

自分の判断が

自分のなかで

自分が決めたことだと

心の底から納得する為には

ポイント

自分の主観だけではなく

自分以外の誰かからの”言葉”や”表情”など些細な動きから

いろんなメッセージを受け取っているということを

認識する必要がある。

と思いました。

なので社会に対して

自分が生きやすいように

関わりを持とうと思ったら

必然的に”客観性”を養う必要が出てきました。

どうしてもそんなふうに思えないときは

しかし言葉でわかっていても

やはり”悔しい”

やはりそんなふうに思えない

ここまで客観性をすてて

自分の主観で生きてきたじゃないかと

自分の足で生きてきたじゃないか、

と思ったひともいると思います。僕も思っています。

僕自身もあなたが選んだ選択、それは”正しい”ものだと思います

なぜなら自分がその選択を主体的に選んだから

生きづらいなと思わなきゃ何していても大丈夫。

でもそうやってきて、生きづらいなと思う時が来きてしまったのなら

僕はまず

生きていく上でするべきことは一つもないと自分に言い聞かせます。

あるとするなら

自分の意識で動かせない臓器を、

動かすためのエネルギーを摂取すること

日光を浴びるということ

安心して寝れる場所で寝るということだけ

だからそれが確保できたら

自分が信じた道を歩むだけだ。と

そう思います

そうすると

それ以外の”気持ち悪さ”という

生きるということ以外の”辛さ”を

まずは認識することができる

そしたらその辛さをどうしたら払拭することができるか

トライアンドエラーで進めるようになっていく、

生きる。

ただそれだけでいいんだと

思えない人も一定数いて

そんな人である僕が

無意識で自分を責める僕たちが

毎年何万人ものひとが

自分で自分を殺めている。

どのようなカラクリで

自分を殺めてしまうのか

自分のこの小さな一つの例ではありますが

生きやすくなれるような

考えた方を

模索していきたいと思っています。

ここまでみてくださってありがとうございます

また次回の記事もお楽しみに

-最近の投稿