どうも
年末年始帰省をしました。
けんすいまにあです
今日は
人間の最適なバランスについて
ふと点と点が繋がった感覚を覚えたので
皆さんに共有します。
あくまで個人の見解であるということ、
ひとつの仮説としてお聞きください。
結論
結論からいますと
自我33%、物質33%、社会33%、努力1%
これが人間の最適なバランスなんじゃないか
最近そう考えます。
補足1.自我とは
ここで言う自我とは
やりたいこと、エゴ、主観、感覚に則した態度、自分を大切にすると言うこと、自分の見ている世界、これらをひっくるめると”自我”と言う言葉になりました。
補足2.物質とは
ここで言う物質とは、
モノ、原子の世界、感情に左右されることのない安定した世界、これを総称して物質という言葉にしました。
補足3.社会とは?
ここで言う社会とは?
対人関係、自分以外の誰かの見てる世界、集団の人間が作り出す普遍的な世界、これを総称して社会という言葉にしました。
なぜこのような考えに至ったのか?
さてなぜこのような考えに至ったのか
それを出来るだけ簡潔にお話しすると
僕は22歳まで自分の見てる世界が全てだと思って生きてきました。
家族も友達も、街中を歩いてる赤の他人も
僕の見ている世界と一緒の世界を見ているんだと
そんなことを信じて疑わなかったんです。
22年間生きてこれたのはきっと陸上競技で自分が他者から必要とされる場所があったためでした。
22歳で陸上を引退して突如として体に力が入らなくなりました。
うちから湧き出てくるパワーじゃなくて
他者からの承認によるパワーで生きていたからだと思います。
しかしこの22年間を振り返ってみると全くと言っていいほど自分の意思を尊重してこなかったんです。
いや自分の意思が幼い頃の母からの虐待によって殺されていたことに気がついたんです。
自分で自分を殺すことで自我を保つと言うかなり歪な思考で生きていました。
22歳で自分のうちから出てくるパワーが無くなった時を僕は転機だと思いました。
世界は真っ暗になり、真綿で首を絞められるような1年を過ごしました。
自分や他者に殺される妄想に駆られながら、なんとか自我を再構築し、この生にしがみつこうとしました。
唯物論的(モノだけの世界に生きる考え方)になったり、独我論的(自分の世界だけだと考える考え方)になったり、常に達観して物事を観察するようになったり
そして思いました。
自分のしたいことを尊重して生きても良くて、他者との関係を忌避して対物の世界に没頭して生きても良くて、常に俯瞰して自分の考えと社会の考えを見比べて生きても良い。自分の意見をあたかも世界の常識のように考えて生きるのも良い。【2022/01/08訂正】
このバランスを自分の中で構築して
自分が一番居心地が良いバランスを決めるということ
自分が1番心地よい位置を決める。
いや、決めなくていい。ふと生きづらさを感じたときに思い出してくれるぐらいで良い
例えば自我1% 社会99% 努力0%と物質0%の人が生きづらさを感じる場合
社会の重きを少しだけ緩めてあげて、好きなモノを大切にしたり、何か自我の求める姿にアプローチする努力をしてみたり
そうすることでふと体が軽くなったりするかもしれません。
大事なのは
今見てる世界が全てじゃ無いと言うことを
頭の片隅に置いておくことが人生の最重要課題なんじゃないか
そう思いました。
今この瞬間にしか幸せを感じられない
さてこんなことを言いましたが
この考えは”意識の範疇”では持つ必要があるなと思ったんです。
しかし人の幸せは今この瞬間にしか感じることができません。
それはこの瞬間に対しては
どこかの世界に没頭することでしか人は生きていけないということです。
常に俯瞰していてはいけません、
それこそ病床で挑戦すれば良かったと後悔することになります。
なので
バランスを意識し続ける
それは継続的にたやすことなく意識するのではなく
たまーにで良いんです。
それは1ヶ月に1回で良い。
それだけでグッと視野が広がる気がします。
この3つの世界を意識することで
今自分がどの場所にいて
何について悩んでいて
どれだけ狭い視野になってるのかが
わかるような気がします。
ぜひ月に一度考えてみてはいかがでしょうか?
ここまでみていただきありがとうございます。
また次回の記事もお楽しみに〜