【哲学】体は物、感情は水、言葉は矢印、欲は源、思考は地図、心は温度、幸せは〇〇。

けんすいまにあの生活

どうも

哲学マニアの

懸垂マニアです(?)

最近はもっぱら

小学2年生のような生活をしています。

それで思ったんですね

年齢でこうあるべきだって

思っているのはいつも自分だ…ってね

それでも遊んでばかりだと

不安になってきますよね、

ましてや社会になんの貢献もできてないと

本当にこの世界に僕以外の人がいるのか

そんな感覚に襲われます。

仮説を立てるの大好きマン

さて、この間小田急線を襲った

無差別傷害事件の犯人も

生活保護を受給し始めたばかりだったみたいですね

生活保護って受けてみればわかるんですが

本当に社会との関わりが希薄になって

孤独感や、ネガティブな思考が加速するような気がします。

人間関係を通して

いや、趣味やそれの延長線上を通して

自分以外の他者と関わりを持って

“必要とされている感覚”っていうのは

自分が思っている以上に

大事なんだなって思いました。

それで最近は社会復帰に向けて

自分の信じる旗を一つ掲げたいと思い

また苦しくなってもここに戻ってこよう

みたいな考え方をうんうんと考えているのですが

今日はその信じる旗というか、イカリというか

今の段階では”仮説”を立てていきます。

体は物という考え方

小学校時代

体を大切に

健康を大切にって言われませんでした??

僕は言われました。

その点でいうと

健康的に育てられた人だと思います。

毎朝早くからお弁当を作ってくれていた母

極力冷凍食品を避けて食材を選んでくれていました。

精神的にはというと

幼少期の両親の大声の喧嘩で

週に2度くらいかなぁ

夜中に起こされていたお陰で

なんか二重人格みたいな不健康な精神を宿すことになってしまったわけですが

まぁこれももしかしたら社会で出ている人みんな二重人格みたいなものなので

あながち僕だけが不幸みたいなことも

無いとは思うのですがね…

そんなこんなで仕事を4ヶ月で辞めた時

僕はほんの一瞬だけ

自傷行為をしました

事務室の封筒を開けるこんな道具があるんですけど

これで何となく、手の甲を切りました。

プツプツって血が出てきました

なんだか、開放されたような気がしました。

そこで体は物という仮説を立ててみました。

そうすると、今思うと

「なんでこんな苦しい事を週6で1日12時間もしなきゃなんないんだよっ!!」

そう言ってゴミ箱を蹴飛ばしたかった

でもできなかった

ふつふつと煮えたぎる水が

鍋から外へ外へと圧力がかかるように

「あ、外に出さなきゃ」

開いてくれないパッケージをハサミで切るように、、、

幸せは”場〇“である。

水が無いと人間生きていけませんよね

水がないとなかなか汚れも落ちませんよね

体を綺麗にすることは

物を大切にすることとかなり近いように思います。

綺麗なものに囲まれると

体が綺麗になる。

今度は体の中にある欲がよく見えてきます

欲がよく見えると

何がみたいのか、嗅ぎたい、触りたい、聞きたい、食べたい、何がしたいのか、何を信じたいのか?

刺激的な事をしてもいいでしょう、物を作ってもいいでしょう、何か世界に貢献するサービスを生み出してもいいでしょう。

ただしどんなにやりたいことでも

やりすぎると熱すぎて居心地が悪くなります。

心も熱しすぎずに

冷めすぎずに

で、幸せって何かっていうと

どんなやりたいことでも

それもこれも結局は

どこへ行きたいか?に集結する気がします。

更なるステージへ

子育てをする母親も

段階的な自分の記録を伸ばし続けるスポーツ選手も

目的はいかに居心地の良い場所を作るか?

居心地の良い環境を目指している、はず、、

自分が行きたい場所を探す。

その場所

目的地こそが

幸せ。

うん、

しっくりくるなぁ

もっと具体的に

言いたかったんですが…

今の時点では

これが最適解

みんなはどう思う?

ここまでみてくれてありがとう。

ではまた

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