【毎日一善】一章 純粋経験 其の四 を読み解く【善の研究-全注釈-】

一日一善

どうも言い訳侍です。

毎日1ページなので

36-39ページに渡る 純粋経験 其の四を

2日かけて読みました。

昨日いつものように寝る前によんで

ブログにしようと思ったのですが

気力が持たなかったので36ページだけ読んで

寝ました。

毎日ブログに上げる予定でしたが

これと格闘し始めたら本文がたったの2ページであっても3時間とか余裕でかかるので

一日1ページという約束を守れば

ブログにするのは2日になってもいいやって

ここまで言い訳です。

ではさっそく読み解いていきますか、

さらっと内容

純粋経験が直接で純粋になる理由として

単一であって分析ができないとか

瞬間的であるって言うことにあるんじゃなくて

逆に具体的意識の厳密な統一にあるんやと思う

そもそも意識っていうのは心理学者が言うような単一の精神的要素が集合したものじゃなくて

本来は1つの体系を成したものやと考える

例えば初生児の意識なんてものは、明るいや暗いといった区別すら定かじゃないような混沌な統一だろう

この中より多様に様々な意識状態が分化して、発展してくるのだと思う。

でもどれだけ細かく分かれていったとしてもどこまでもその根本的な体系の形を失う事は無い

私たちに直接なる具体的意識はいつでも多くこの形において現れるものだと考える(←なんか遺伝子みたい)

瞬間的知覚のようなものでも決してこの形以外のものはないと思う

例えば一目見て全体を知覚すると思う場合でも細かく研究すれば目の運動とともに注意は移っていき、その全体を知るに至る

このように意識の大もとは体系的発展であって、この意識の統一力が厳密で意識がおのずから発展する間は、私たちは純粋経験の拠り所を失わないんだ

この点は知覚的経験や表象的経験においても同じだと思う

表象(対象になる像)の体系が自ら発展する時は全体がただちに純粋経験や

ドイツの詩人ゲーテが夢の中で直覚的に詩を作ったと言うのはその一例やな

知覚的経験では注意が外物から支配せられるので意識の統一とは言えないように思われるかもしれないけど

知覚的活動の背後にもやっぱり無意識の統一力が働いていなきゃならないと思うし、注意はこれに導かれると思う

またこれに反して表象的経験はいかに統一したものであっても個人的な行為や主観的な動作に必ず属し

純粋な経験とは言われないようにも見える

しかし表象的経験であっても

その統一が必然で自らを結合するときには私たちはこれを純粋の経験とみなければならない

例えば夢のように外より統一を破るものがないときには、全く知覚的経験と混同されるのである

これをして純粋ならしむものはその統一にあって種類にあるのではない

表象であっても感覚と厳密に結合しているときにはただちにひとつの経験で

これが現在の統一を離れて

他の意識と関係する時、

もはや現在の経験ではなくして

意味となるのである

表象だけであったときには夢においてのように全く知覚と混ざり合っているのである。

感覚がいつでも経験と思われるのはそれがいつも注意の焦点となり統一の中心となるがためだと思う。

分からん分からん

今回は頑張ってわかりやすくしようと思ったけど

分からなさすぎて口語訳にすることもできんかった

でも唯一しっくりきたところは

僕たちの”意識”みたいなもの

物事に直接的に関係してくる”自我”みたいな

その統一力には”体系”が決まっていて

どこを切り取ってもその”カタチ”を保っている

ってことなんかな?

そのかたち自体が意識であって自我であって統一力であるみたいな?

だからこそ純粋経験には全く意味がないと言われる。

個々の意識といわれる”体系”の形に沿って文化し、発展していくだけと

後半は意味がわからなさすぎて

将来の自分に期待を込めて

ほとんど言葉をわかりやすく言い換えたりしていないので

皆さんも自分自身の考えで

噛み砕いてみてください(なげやり)

感覚だけが経験やと思われるけど

想像や記憶からくる対象も一種の経験である

ってのは

途中の文章にある

現在の統一された意識から離れて

他の意識と繋がった時

“意味”となる

って言ってる

意味の注釈には

“価値”や”判断”のように純粋経験の対立概念としてある”反省的思惟”のひとつ

って書いてあるように

体系的に表された自分の意識から離れてる

他の意識と結びつけるから

記憶による対象や想像による対象、

知覚による対象からくる

純粋経験とは違うものになるって言いたいんかなぁ?

だから

ここでは純粋経験事態に意味なんてないけど

そもそも経験による意味なんてものは自分の意識から離れて他の意識と繋がってるから

“価値”や”判断”のように

反省的思惟となって

過去の自分の行動や言動に間違いがなかったのか考えること自体に意味は無いと言いたいのだろうか

わからんぞ

これからわかってくるのか

そもそも誤解しているのか

またしても謎が深まるばかりでした。

ではまた次回の記事でお会いしましょう

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