【毎日一善】第一編 第一章 純粋経験 其の三 を読み解く 【善の研究-全注釈-】

一日一善

どうも、一文なしのもんたです。

遅ればせながら読みました

第一章 純粋経験 其の三

紐解いていきましょう

さらっと内容

さて、全ての精神現象の源である純粋経験はどんなものか?性質を考えていこうか

まず純粋経験は単純か?複雑か?ってとこが疑問になるな

過去の経験により引き起こされたものや!

とか

感覚的なものでももっと細かく分けていけるというなら

純粋経験も複雑なものと言ってええやろな

でも、どんなに純粋経験が複雑なものやっていっても、その瞬間のものは一事実にしか無いんやと言いたい

例えば、過去の意識の再現であってもそれは現在の意識と交わって新たな意味を持った時には過去のものでは無くなる

みたいに、現在の意識であったとしても

現在の意識だと分析したときにはそれはもう過ぎ去ったものであって現在の意識では無いんやで

純粋経験からしたら全てが区別できるものであって、その場合、区別したものごとに単純で個性的で、創造的なものやと思う。

次に純粋経験が意味を持つ範囲はどこまでなんやろか?

純粋経験の現在は先ほど述べたような

現在を分析したときもうそれは現在じゃない

みたいな思想的なものじゃなく

意識上の事実として、その現在にはいくらか時間的な継続がないといけないと思っとる。

となると純粋経験では

意識の焦点がいつでも現在となる。

それで純粋経験の範囲ちゅーもんは、

おのずと注意の範囲と一致してくる

しかし僕はこの範囲は必ずしも一注意の下にあるとは限らないと思う。

私達は全く思想を持ち込まずに、主観客観の区分がついて無い状態に、注意を向けることができるんだ

それは断岸をよじ登ろうとしてる時のように、音楽家が熟練した曲を演奏するように、

動物の本能的動作にも必ず其のような精神状態が伴っている

このような精神現象においては

知覚が厳密な統一と連絡を保ち

意識が一より他に移るもの

注意は終始モノに向けられ、前の作用が自ずから後者を引き起こし、その間に一瞬の考える余地も無い

これを瞬間的知覚と比較すると

時間の長短や、注意の推移に差はあるけれど

主客合一の点においてはなんら変わらないものや

もしかしたらその”瞬間知覚”なんてもんも、複雑な経験に基づいて現されたものやとしたら

純粋経験も瞬間知覚も

程度の差では無いか?と思う。

純粋経験は必ずしも単一な感覚とは限らん

心理学者がいうような意味の単一感覚(視覚や嗅覚、味覚、聴覚、触覚、皮膚感覚、運動感覚、平行感覚、内臓感覚など)は

学問上のものであって

事実として直接的な具体的経験では無いんだよ。

今回はなんとなくわかった

でも今日もむずかったなー

ここからは僕の考察よ

純粋経験は単純で創造的なものやって言ってる

これはつまりどんな捉え方もできて、一事実でしかないってことやと思う。

そんで純粋経験と呼べる範囲について

瞬間的に見たら一事実でしかないけど

純粋経験の範囲は注意をしてる範囲にあって、

意識においては瞬間の感覚的なものだけじゃなくて

自分が全意識をそこに集中している時に起こる同時に多角的にモノを見ることができる状態のような広い範囲を

純粋経験の範囲として示すこともできるよね

相対性理論みたいに

時間は均一では無いって聞いたことあるけど

ここでいう瞬間知覚と超集中状態とでは

美味しいアイスを味覚で味わう人もいれば

音楽家が楽譜を見ながら音を聴きながら演奏する人もいる

おんなじ時間やとしても

濃密な体験の方があっという間に経ったって思うし

それはほんまに自分が意識する部分の差なのかもしれへんけど

範囲は様々やなって

そんな話でした。

ではまた

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