【毎日一善】“第一編 一章 純粋経験 其のニ”を読み解く【善の研究-全註釈-】

一日一善

どうも

毎日冷水シャワーを2回あびる

基本料2000円をケチって

ガスを契約から解除した男

ガス代ケチ男です。

今日は32-33ページ

第一編 純粋経験 第一章 純粋経験 其のニ

読みます。

さらっと内容

其のニ

(前々回、本質的に実在するものは純粋経験の世界だけであると言い

前回、純粋経験こそが真の経験であり

そこには意味や感覚や知覚といたものがないと言った。

今回はその続き)

いかなる精神的な現象が純粋経験の

産物であり、事実であるかということ

感覚や知覚が純粋経験によってもたらさせるものだということは誰も異論はないと思う

しかし、私は”全ての精神現象”が

この純粋経験からもたらされるものだと信じている(←!?)

それは例えば、”記憶”において

過去の意識が直ちに起こってくるということ

過去を”感じる”のでもなく

感じてる過去も、現在の感情だ。

抽象的概念も超経験的なものじゃなくて

やっぱりそれも一つの現在意識だと思う。

例えば、幾何学者が一個の三角形を想像した時、その三角形をもって全ての三角形の代表とするように

概念の代表になるものも、現在の目の前におこるこの瞬間に置いては

一種の感情にすぎない

その他、意識の周辺、つまり無意識と意識の境目の部分を,

直接経験(=純粋経験)の中に入れるとすると

経験に基づいた”事実”の間の

色んな関係性をもつ【意識】でさえも

感覚や知覚と同じように

純粋経験の一部となる。

それならば

心の中や気持ちと言った”情意”の現象は

どういうものか?

快や不快といった感情が現在の意識であることは

言うまでもない

ところが

“意志”においても

その目的は未来にあるにせよ

私たちはいつもこの意志を現在の欲望として

“感じる“のです。

考察

なるほど、、、

これは面白いですね、

前回の内容は

純粋経験こそが真の経験であり

それがどんな内容であれ

意味を理解する前の現象に過ぎない。

と言うことでしたが

今回は衝撃的な一つの見解を示しています。

それはどんな精神的,心理的な現象であっても

一つの純粋経験の中に含まれる

と言ってます。

つまり個人が認識するとか言う前の

個人が感じる前の純粋な経験が

感情や感覚を作り出すだけじゃなく

精神的な現象をも作り出していると。

これは?

どうなんでしょうか?

そしたら全く”個人的な好み”

とか

“やりたい事”とか言うものも

はっきりしないのは

つまりはその人の捉え方うんぬん抜きに

まだ“経験”をしていないだけということになります

(これは解釈として間違ってますかね?)

もしもそうなら

かなり暴論のように聞こえます。

ただ、感情は伝播する、伝染する

みたいに

意志がもし個人ではなく

純粋経験の中にあるとするなら

自分の意志を突き詰めた時にどうしても矛盾する現象を

証明してくれるかもしれません。

だって自分というものは

外の世界の、つまり純粋経験の世界の

“器”みたいなものだって思ったからです。

過去も未来もない

只今この瞬間に

感覚や知覚、だけじゃない

意志をも受けとる”受け皿”でしかない

そんな内容のように

感じました。

うむ…

難しい…

皆さんはどう思いますかね…

例えば

神経症的な病、PTSDや

乖離性障害のような精神疾患でさえも

今この瞬間に何の意味を持たない純粋経験という名の外の世界からくるものだと…

元々自分の軸みたいなのがうっすいのですが

より薄くなる!!!

自分の軸とか意志ってのは

自分が持つものじゃないのかぁ!?

(まぁたしかに自ら厳しい環境に飛び込んで自己研鑽する方法をとってきたから、あながち感覚的にはこの理論を元々持ってたかも!?)

じゃあ自己研鑽じゃなくて

幸せを求めようとした時に

自分の幸せを受け取る器はどこを探せば見つかりますか?

純粋経験のように、ただ”起こり続ける”世界に飛び込んでいくことで

幸せは幸せのままに、不幸は不幸のままに

受け取るだけなんでしょうか?

元々経験論者ではありましたが

さらに経験論者になりましたねぇ

ということで

第一章 純粋経験 其のニでした。

この章だけでも

56ページまであるので

まだまだ続きます

一冊は500ページを超えます

気長に気長に…

ではまた

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