【毎日一善】“第一編 一章 純粋経験 其の一”を読み解く【善の研究-全注釈-】

一日一善

どうも

サーモン富岡です。

毎日1ページ読むを

モットーに

善の研究を読んでおります。

ついに本編に触れてきました。

30-32ページにあたります。

純粋経験、其の一を

読み解いていきます。

さらっと内容

第一編 純粋経験

第一章 純粋経験 其の一

経験するというのは事実をそのまま知ることやで。

全て自分を捨てて事実を知るってことや

ここでいう純粋経験ってのは、普通の経験と違って

思想とかそれこそ意味とか価値とか分別を考えない全くありのままの状態を言ってるねんけど

例えば、色とか音とか聞いた瞬間に

それが自分が感じてるとか、何から鳴ってるとか考える前の状態のことを言うねん

それで純粋経験ってのは直接経験とおんなじやって思う。

自分の意識状態の元に経験したとき、

主観とか客観という概念もない

知識とその経験対象が全くおんなじタイミングで交わってる

これが最も”純粋”な経験と言えるんちゃうか?

未だに経験がどう言う意味か明らかにされてないから

ドイツの心理学者のヴントが言うように、経験から紐付けられる知識を間接経験と名付けて

物理学とか化学っていうのは間接経験の学やってゆーとる

でもこの間接経験は本当の意味で経験できない、間接経験だけじゃなくて

意識現象においても

他人の意識は自分で経験できないし

自分の意識であっても過去について思い出したり

目の前で起こったことでさえも何が起こったのか判断したときにはすでに

純粋な経験とは言えない

本当に純粋な経験はなんの意味もなくて

事実そのままの現在意識にあるだけやで

考察

今回も難しかったなぁ

純粋経験はなんぞや?

そんな定義付けを

かなり詳しくまとめてて

著者自身、第二章から読んでみてって

言ってるから

ここで何故こんなに

純粋経験を定義付けしてるのかは

後々わかってくると思う。

がしかし

最初から読む。

でもここで言いたいことはなんとなくやけど

わかった気がする

僕の考えは

ここまで純粋経験にこだわるには訳があると思って、序盤に出てきた”間接経験“と純粋経験のことを直接経験と言い換えてまで比較対象にしたところに

間接経験を深掘りする必要があるなと思った

多分ここがごっちゃになるとこの先こんがらがる気がするから

例えば間接経験って学問みたいに

体系的に表せれるもので

一個人の感覚に根付いたものじゃない

感覚の集合体を平均値として表したものやとおもう

意識的(=心理学的)と物理的で大まかに2つ分かれると思うけど

物理的な現象から見れば

例えば今俺が聴いてるキッチンから鳴ってる換気扇の音を撮ってさ、さらに別の人の家の換気扇の音撮っていって、例えば10000台分とともに録音した換気扇音を周波数に分けたりして分析して、平均値を取った”音”

心理学的なもので言うと

10000人の音楽家にこの換気扇の音を聞いてもらってどんな音に聞こえるか、どんな感じがするか、低いブーンって音とその音より高めのサーって音と交わってて全体的にはガーって鳴ってて、それをいろんな音楽機器をつかって緻密に表現してもらってその音を全て合わせた平均値を取った音

みたいな

どっちも平均値やから

自分が聞いた最初の音とは結構違う音になってると思う。特に心理的な方は

自分が感じてる音は他人は感じることはできないから分からない

ただ物理的か感覚的か、似てる音は作れる

それに対して

直接経験は今この瞬間にこの音が換気扇の音やって理解するよりも前、俺の鼓膜が揺れて音を音として脳が感じる、感じとるその瞬間までの

現在起こっている何の意味も持たない現象のことを言うんやと思うな…

だからここで純粋経験をこんだけ詳しく定義すること

それはこの間接経験と直接経験(=純粋経験)をごっちゃにして欲しくなかったんやろなって

著者の気持ちが伝わってきた

これ合ってるかわからんけど俺はそう思った

こんな長々と考えたけど

この純粋経験はもっともっと続きがあるから

今日はこの辺で

ではまた

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