【哲学】元も子もない質問から真実がやってくる

哲学

どうも

哲学者の卵です。

今回は僕の大好きな著者

精神科医の名越康文さんが

書かれた著書

【ひとりぼっちこそが最高の生存戦略である】

の中にも登場します。

この質問

【どうせ死ぬのになぜ生きるのか?】

について

最近もっぱら死について考える

最近自分の中で芽生えました

疑問。

自分の死は社会的な産物なのか?

これは

自分の”死“には

一人称視点が無いという前提から

自分が死ぬということは

他の誰かが悲しんだり寂しい気持ちを感じたりすることによって

事象として存在を許されている

そういう話です。

まぁ死んだら

「あっ!俺死んだわっ!」

って感じる人がこの世にいないのも

この自分の死は社会的なものだと言う

確固たる証拠だといえます。

どうせ死ぬのになぜ生きるのか?

という画期的な質問は

バリバリ働いている丸の内レディも

1人暗い部屋で自分の生を憂いている人にとっても

大事な大事な質問だと思います。

正解を求めるな、自分に質問しろ

これを僕は最近、

友達やナンパした女の子とご飯に行く度に問いかけているのですが

十中八九、目が泳いで話を濁されます。

そんでよそよそしくなります。

苦虫を噛み潰したような顔をされて

ナンパを成功させたいなら絶対にやってはいけません

中には「(こんな話に付き合ってる)俺らって相当優しいぜ?」

そんな旧友もいます。

今となっては疎遠です。

親友だったのになぁ…

たしかに彼は本当に優しくて気が回っていい奴なんです。

だから僕もこんな質問を誰彼構わずするのはよそうと思います。

本質的が好きか?現実的が好きか?

そんなこんなで毎回自分を戒めるのですが

次の日にはケロッと忘れてまた聞きます

僕にとっては

3度の飯より

この問題に対してキラキラした目であーでも無いこうでも無いって

話しをしたい、、

幸せになるためにはどうすればいいか?

なんて確固たる方法論が無いように

誰にも分からない事を考えてもしょうがないって

ある人に言われました。

またある人には

そんな話よりも

もっと自分の生活に根付いた、地に足ついた方法論を議論した方が

よっぽど為になる

そう言われて、名越康文さんよりも

樺沢紫苑さんの方が有益な話をしている

そんな風に言われました。

僕も樺沢さんの本を読みましたが

とても面白くて為にはなったのですが

今となっては何を書いてあったのか何一つ思い出せません。

別に樺沢さんが良くないとか言いたいわけじゃありません

たしか映画を見たら100文字で感想を書こう

みたいな脳を鍛える話だったような

幸せを呼び込むhow toが多かったと記憶してます。

たしかにとっても為になるし

今日から誰もが実践出来るし

きっと自分の事象をまとめる力を養い

事実と解釈を分けて考えを整理するのには

役に立つと思います。

でもそれって本質的な話じゃ無い

どちらが良いとかじゃなくて

どっちが好きかだと思う。

誰にも分かっていない質問が大切な気がする

誰にも分からないこと

誰にも分からないって直感で分かる事

それこそ本質的な事なんじゃないか?

そう僕は思います。

具体的に言えるっていう事はつまり

その人自身の形に沿った枠で無駄な部分は削ぎ落とされ窮屈になっています。

でも人間って、生まれてから今まで育った環境も違えば食べるものも違う、仕事も違えば、考え方価値観も違う、

だけじゃない、見てる物の色、味、触り心地から音まで感じ方全てが違う

じゃあなんで一人の人が言う方法論に頼ろうとするんでしょうか?

名越康文先生みたいに

それ言っちゃおしまいよって

言われるような質問を

本の題名にしてしまう。

誰もが答えを求めている中で

難解な質問を投げかける

そんな人の方が僕は好きなんだなあって

というか

それ言ったら万人受けはしないけど良いの?って言う事を言えちゃう人の方がより信憑性を感じます。

だってたくさんの人に読まれた方が

信者になってくれる人が多いだろうし

本の印税でより豊かな暮らしを営めるだろうし

圧倒的大多数が正解を求めているのに

僕だって、走り方とか指導させてもらってた時は

これはこうすると上手くできるよって言っちゃうもん

その方が楽だし、教えた人の変化は劇的だし

感謝されるし、気持ちいいし

でも本当の本当に大切なことって

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」

そんな全てを無に帰すような質問で

さらにはそんな話を

楽しみながらあーでも無いこうでも無いって言える

自分以外のコミュニティを作る事なんだなって思います。

自分の真理が大事、でもその真理に辿り着いたプロセスがもっと大事

僕がそう言う

どうせ死ぬのになぜ生きるのか?

そんな事を笑いながら話せるコミュニティに

居たいし、

そう言う話題が好きなんだなあって思うから

自分の心のイカリ⚓️って

どうせ死ぬのになぜ生きるのかという質問

その場その場で自分が自分に問いかけて

そこで出た答えが真理だと思う。

真理に基づいた自分の正解、

生きている中で、

2021年6月28日13時40分29秒のこの瞬間に

確固たる信条に背かずに生きていくこと

別に3秒後に違う事を信じてもいい。

けど自分がどう言うプロセスを経て

その答えにたどり着いたか

そのプロセスがあれば

また戻ってこれる

真理こそが行動力という力を与えてくれるし

質問が生活に根付いていればいるほど

事あるごとに質問が自分の行くべき道を示してくれる

生き上手になりたい

生きるのが上手な人は

たくさんの答えを知っている人じゃなくて

自分の死を受け入れて諦めている人じゃなくて

屈することのない希望を持ち続ける人

でもなくて

自分に絶えず質問し続ける人だと思います。

そうやって出た答えに縛られずに

さらに派生して質問を作り出していく

そんでまた質問できる人

どうせ死ぬのになぜ生きるのか?

それを絶えず質問できる人に

なりたいな

ではまた

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