【哲学】“明らかに極める”で諦める。岐路に立った時に考えたい2つの諦め

哲学

どうも少々鬱気味な(回復傾向ではある)男です。

明らかに極めるって言って、諦める

なんか、YouTubeの広告で

演技派の俳優さんが言ってましたね

なんの広告かは忘れたんですが、、

パッとあの本が浮かびました。

極めるとは諦めることとセット

以前読んだ陸上の400mハードルで名高い為末大選手が書いた

“走りながら考える“

この第一章でも出てきて

印象的だったのが僕の頭の中でフラッシュバックしました。

為末選手は本の中で

「毎朝、Amazonを創設する選択肢を捨てて今日の仕事に出かけているんだ」

そう言って

Amazonの創設者であるジェフベゾス氏の話をしました。

彼が会社を辞める朝、きっと未知で不安の多いであろうインターネットの書店を作る選択肢と、今いる会社に留まる選択肢

どちらかを選んだ。

悩んだ末の決断だったんだと思います。

でもそうして今の会社にいる選択肢を諦め、

Amazon創設に至った。

そんな話。

どちらが正解というわけではない。

しかし毎朝その選択肢を取ることを

他の選択肢の可能性に気付きながらとるのか、惰性で習慣でそれを続けるのか

そこに気づくのが大切だ。

為末選手が言うのはとても説得力がありますよね

25年間のハードラーとしての生活を続けられたのは

野球選手、サッカー選手、新聞記者、などの数多ある”やってみたい事”をやっている人生を考えた上で

毎朝同じ選択肢をして、他の選択肢をただただ諦め続けていただけだと

まぁそれが凄いんですけどね

僕は中学3年生からの10年間

長距離走を誰よりも早く走るという目標を掲げて

突っ走ってきました。

だからこそレベルは違えど同じランナーとして

為末選手の話は言いたいことが肌感覚で感じとれるような気がします。

極めるっていうと、何かひとつのことを集中してできる

そんな集中力や怠心を許さない不屈の精神にフォーカスが当てられがちですが

同時に他の出来る事、できたかもしれないことを諦めている

諦める力の重要性を謳う人はみたことがない

この本を読んでそんなことを言う人がいるんだって衝撃を受けたことを覚えています。

自分に聞け!

さて僕自身去年の8月に会社を辞めて

ホームレスになってから

精神状態が良くなってきています。(本当かよ?)

まぁ明らかに経済状況やら環境やらは以前よりゆとりがない状態になっているわけですが

最近YouTubeで

人生の幸せとか

自分とは何か

死生観について

よく本の紹介動画を見たり

精神科の先生の話を聞いたりします。

どうもこんにちは

人から見たら少々鬱気味の男でございます。

先程言った”諦める重要性”について

今の選択肢を選び続けるのは何故なのか?

そう言う自分の中の真理について自分に問い続けることが

重要だと

為末選手は言っていました。

全くその通りだ。

自分の中に正解がある。

僕はそう思う。

「社会とか常識とかそれこそ外の世界なんてものは5年や10年の単位、はたまた昨日と今日だけでも土台から180度”価値観”や”正解”が変わる

そう思っていてもおかしくはない」

解剖学者の養老孟司さんはマッカーサー来日で教科書に墨を塗った小学2年時の思い出を思い出しながらそう言います。

??「さっきから引用ばっかりでお前の言葉がねぇなぁ」

はい。僕もそう思います。

ここからは僕のお話

僕は今の流行りがどうとか、しきたり、常識がどうとかここ数年でほとんど気にしなくなりました。

テレビを10年間所持しなかったから?

YES

友達や家族、社会とのつながりが薄いから?

YES

自分自身の気持ちや考えすらまとまりがなく翻弄されているから?

YES

…あれ?無能な社員かな?

こんな思い出があります

友達「〇○〇(←僕の名前)って人に興味ないよなぁ〜」

地元に帰ったときに、小中とずっと仲良くしてた友達に言われたセリフです。

自分にしか興味ないナルシストみたいな言われようで正直ショックでした。

けど側から見たらそうかもしれません

高校から地元を離れて見知らぬ土地へ出た僕にとってはその地や環境、人間関係の思い出は15歳で止まっています。

ワイ「自分の事だけで精一杯なんよ」

我ながら咄嗟に出た割にはすごいしっくりくる返しでした。

けどずっとこんな感じ。

逆に言うと自分の中で全く変わらないものはなんなんだろう?って考えた結果こんなやつになったのかもしれません

それって為末選手が言う

自分の中の変わらないモノは何か?を自分に問いかけるって事なんじゃないかな

周りが変わっていく、自分も変わっていく

けどどれだけ自分が変わっても、変えようとしても結局ここにいる、

そんな自分の中のニュートラルを

自分で理解する

その重要性を感じました

岐路に立ったときに

さて、こんな元ホームレス生活保護マン

のわたくし、けんすいまにあの言葉を

真剣に聞く

そんな暇人がいるのだろうか

そんな意味のない心配はさておき

最後にラッセルの幸福論からの引用して締め

言葉で考えを整理する事を諦めたいと思うよ

世界三大幸福論の一つ

バートランドラッセルが書いた幸福論の中に

こんな話があります。

【その”諦め“元を辿ったらどちらに行き着くのか”絶望”か?はたまた”不屈の希望”か?】

ラッセルは言います

諦めには2種類あって

不屈の希望に根ざした諦めと絶望に根ざした諦め

がある。

どちらを取る必要があるか?分かりますよね?

でもその選択がどちらに根付いているか?

これは本当に難しい問題です。

正解はその人自身の中

これって何度も自分に問いかけないと見えてこないと思うんです。

自分を自分で洗脳し続けていた

僕自身

その違いが

明確に分かりません。

未だにわかりません。

でも僕は岐路に立ったとき

一方の選択肢をしたときに

爽やかな安心感を伴うドキドキワクワクか

刺激的で動悸のようなドキドキワクワクか

そんな違いがある感じがします。

今までは刺激的なドキドキワクワクをとってきました。

そう言うときもあって良いと思う。

長生きしたいと思わないし、

人生量より質だっ!

なんて言いながら…

しかし、

ここ2ヶ月は裏山に行って

木を抱きしめながら

自然と触れ合ってカブトムシを観察して

昨日

交尾していたカブトムシが

今日カラスに食われてバラバラになって死んでいる

でもどこか自然に委ねられたその姿勢が

僕の体の奥底にある緊張をほぐしてくれた

そんな様子を見てると

爽やかな安心感に根付いたドキドキワクワクを感じる

そんな選択肢をとれるようになってきました。

やっぱこっちの方がちょっと居心地は良い

けどそれだけの違い

諦めって大事

諦める事でどう感じるか?

それを辿るってもっと大事。

皆さんも

ぜひ自然と触れ合ってみて

爽やかな安心感に根付いた諦めを

自分に問いかけて感じて見てくださいね

では

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