世界の第一歩目#3

懸垂(almost)

知らないほうが幸せなこともある

何をカッコつけて何も知らないくせに

中二病かよ

ってツッコミを入れる方もいらっしゃると思います。

 

はい、中二病です(24歳)

 

人生は自分で道を決めることができる

そう考え始めてからいろんな欲が生まれました。

欲に気が付きましたといったほうがしっくりきます。

 

その御蔭でたくさん悩みも増えました。

自分で自分を無意識に縛っていた、まるで縛られていることに気が付かなくなるまで

 

その事に気がついてから

自分が当たり前のようにやっていた食事制限や練習が本来であれば本能に逆らっている努力をしてたんだなって思ったり

本能に則って生きている人が羨ましく思えたり、ふとなんでこんな辛いことしているのだろうと考え込んだりしてしまいます。

 

行動は全く伴っていませんが、人生のフェーズがあったとしたら

一段階くらいは移行したような気がします。

(そう思わないと気が狂いそう)

  • 選択肢がないからただひたすらそれだけやる状況(フェーズ1)
  • 選択肢がありすぎて決めれなくてとりあえずそれだけする状況(フェーズ2)

ちなみに

前者のほうが圧倒的に楽です。

後者はきつさでいうと前者の20倍はきついと思います(けんすいまにあ基準)

 

 

知らないコトを知ったときに得られるモノ

知ってしまったがゆえに悩んで恐怖におののいて足がすくむこともあるでしょう。

しかし知ってしまったことで世界が広がったことで

「自分の考えが及ばない世界があることに気がつく」

そういう意味では、知らないものを知ってしまう。

 

選択肢の幅を広げることは自分の世界を広げること

世界が広がることによって視野が広がり心に余裕が生まれます。

同時に知らないものを知ってしまうことで自分の中にある種の

謙虚に似た気持ちが生まれます

 

同時に自らの意思で人生を動かしていけるんだという圧倒的な

自己重要感も手にします。

 

あなたもそのうちもしかしたら何か”目標”に向かって走るときが来るでしょう、、

きっと知らなかったときよりも、知っている方が捨てる選択肢が増えて、我慢する事が増えて辛いこともあるし、圧倒的孤独感に打ちひしがれるときも来るでしょう。

そこでもう一度立ち上がる、どれだけ転ぼうが何度でも立ち上がるという

強さ”を身につけることができるでしょう

 

一歩踏み出してみる勇気が世界を広げてくれる

圧倒的デメリットを優に超えてくるメリットと一緒に・・・

 

 

そろそろ本題

さて人生を船旅にたとえるなら

 

さきほどのジレンマの話や本能の話から

海流や風向きについてある程度のことを掴みました。(気がするだけかも)

さぁここから僕の人生の航海図を書いていきましょうか

 

まずは順路であり方向性である部分

僕の真の欲求はなんなのか?

僕のこの目標は僕のどの欲求から来ているのか・・・

これを紐解いていきたいと思います。

セカイイチ・・・

セカイイチになること、これは

僕にとっての面白さ

日々挑戦すること、昨日の自分を超えていく感覚

生きている実感につながる自己重要感の装填(幸せの源)

自尊心欲求の終わりなき旅。終わりが来たらまた探し始めればいい

日々自分の最高を記録していく。

情報化社会により前人未到の地はどんどんと少なくなってきています。

新たな世界を広げていくこと横の成長も面白いですが終わりがない。

 

自分をどんどん高めていく縦の成長も限界はないがそこには成長がある。

成長が、他者への貢献に繋がり、他者への貢献が自己重要感の補填になる。

これが人生のポジティブループ。

 

懸垂・・・・

それは”できるから”であり、なりたい像がいたからであり、

鉄棒を握った瞬間にこれだっ!ってなりました。

先程述べたようにデキることの中からしかやりたいことは生まれない

よって懸垂を選んだのは偶然筋トレにハマって、

偶然かっこいい人を見つけて偶然懸垂が得意だったから。

ここまでの偶然が組み合わさるとそれは偶然ではなく必然なんだと

自分に言い聞かせています。

 

 

最近の悩み<本当にこれで良いのか?>

最近悩みがあります。
それは本当に僕が懸垂でやっていけるのかという悩みです。

というかみんなは今の仕事をどのようにして

選んでいるのか?

これだ!と思ったというのはどのような感覚なのか?

それとも毎日のようにやりがいや楽しさを感じながら仕事をしているのか?

本当にこれで良いのか?

 

これを考え始めた当初は

自分が立てた目標が高すぎるためではないか?と思いました。

しかし翌々考えてみるとそうではなさそうでした。

この悩みの根源にあるのは
”やりたいこと”と”できること”のギャップにあると思いました。

どういうことかというと

やりたいことをやっているなら誰になんと言われようと、
時間も忘れてやりたいことだけをひたすらやるという状態になるのではないか?

という高い理想像との現実のギャップにもあって

これまで無意識に縛られていた目に見えない努力が目に見えるようになって

世界の広さを知った上でもっと知りたいという欲求も生まれました。

好奇心欲求VS成長欲求

好奇心にかられて成長欲求がそれてしまったり

逆に成長欲求や貢献欲求が強すぎて【自己重要感】にかられて焦ってしまったり

”達成できるのか?””続けることができるのか?”などという
不安や疑問は浮かばないと思います。

目標にはやりたいことばかりではなくて
多少なりとも”使命”≒”やりたいことじゃないこと”がうまれてきます。

小さな目標が達成できなかったときに陥るネガティブな感情が

不安や疑問を生み出し、

そのやりたいことじゃないことにフォーカスを置いて考えると

他にできることがあるのではないか?という贅沢な悩みがうまれました。

ではなぜ僕がこの目標を立てたのかというと
なりたい像が明確にあってそれに近づきたいと思ったからです。
ある種”憧れ”のようなものです。

できることが人以上にできるようになってやりたいことになったけど

いざ大きな目標をたてて挑戦しようとしたときに他のものにも目移りしてしまう。

これが悪い癖として出てきてしまう。。

いろんなコトをやってみようといい面ばかりが反応するわけではなさそうです

  

僕の中の不可侵領域

ある程度の交友関係ができたときにそれ以上を求めない、人に期待をしていない

価値感を大切にするが価値観を大切にしない。どれだけ楽しい雰囲気だったとしてもどこか冷めている自分がいる。

長年自己韜晦【=自分の本心を隠し続ける】を続けてきた仇が

今になって僕自身を終わりのない無限ループの思考のオリに閉じ込めれたような感覚です。

 

最近僕のうまれもった天性の素質と
その後、後天的に培われた素質が合わさったときに

 

その”なりたい自分”からかけ離れた存在になっていることに気が付きました。

自分の中の”なりたい自分”という像が
理性先行の究極に”無欲”な人間で、孤高の存在「自分の中に確固たる価値観がある」
人の意見に左右されることなく自分がしたいことに忠実な人間。

もともと本能で生きる自分にとって

人の意見に左右されて来るべき方向へ進んできたような気がします

 

そもそも憧れというのは”自分にとって持っていないものを持っている人”に抱くのかもしれません。
なのであながち間違えではないのかもしれませんが、、

 

ある記事には自分の伸びる方向を見極めろと書かれていました。
伸びる方向は自分にとってどこなのか?

周りが見えなくなる=一点集中することができる人=孤高の存在

だとしたら伸びる方向があっているのかもしれません。

 

社会人としてデビュー仕立ての僕ですが、、、

社会にはある程度のルールがあるみたいです。

社会の中で自分を見失わないようにするには

さてここまで自分の内側について探ってきましたが

大体は見当がついてきたかなと思います。


しかしながらまだまだ苦しいのです。
とくに目標を立てて努力するのはいいのですが、
自分で自分の首を絞めている状態が続いていることが苦しいのです。

 

その原因は人間関係かなとおもいます。

真っ直ぐな人ではないのに純粋で素直ないい人を演じてしまう。

好奇心欲求が生まれるのは”死にたくないから”

 

「過剰なまでの経験欲求」が出てくるのは生を意識過ぎた上で

その時その時を大事に生きずに常に時間を無駄にしているような感覚で生きているからです。僕の目標は、やりたいことをやるだけやって満足した状態で死ぬのが目標です。家族ができるとは思えないし父親になっている姿が想像できません。

 

しかしながら”死にたくない”=”人の中に生き続けたい”=”なにかすごいことを成し遂げたい”=唯一無二の存在、なにかその分野で大きなコトを成し遂げる姿に憧れる。
自分にしかできないものを極めたいという気持ち。

さらに僕の中心に横たわる”無価値感”
自己中心的な自分を否定され続けた過去

 
そしてその中でも必死に自分を作って生きてきた過去
それにより僕の中の本当の僕が押し込められているような感覚。

自分がしたいことを思う存分したい。ではしたいことってなんだ?

できることを探して極めようとしたけど、本来したいことってなんなんだ??

自己韜晦【=自分の本心を隠し続けるコト】

をずっとしてきたことによって
僕の中にある”子供の自分””やりたいことに反応する自分”
”生き生きとしている自分””人から左右されない自分”

が黙ってしまっている。

そうやって自分の本心から逃げ続けてきたことによって
表面上”立派な”人間の完成である。

自家中毒【自分の中で生まれる毒で自分が状態が悪くなること】に陥っているのは、長年自分のやりたいことを避けて、なりたい自分になれるように努力してきたからであって褒めるべきところですが、

 
それと同様に自分の本心を忘れないようにしていきたいと思うようになりました。

心の底から”こういう人になりたい”というのは

自分の心に問いただしてもまるで下に進んでいるのか上に進んでいるのかわからない螺旋階段を登って下っているようです。

モテたい(尊厳欲求が強い)

心象が交わる深い関係を持つことでモテたい

しかしながら嘘はつきたくない。

ついてしまうと自分も相手を信じられなくなってしまう

そもそも信じる必要はあるのか?

とりあえずプライドを捨てることで

まずは何に対しても経験が大事と思いました。

別の分野で極めてまた違うところに

別のところでまた極めて

違うところに

その繰り返し

繰り返し、繰り返し、人が見ていないと思っても必ず見ている

そもそも自分が見ているではないか

 

ではどのようにしてこの世界を生きていくのか

 

社会の自分プライベートな自分

分けて考えること。

よって自分自身がどんなキャラであるかを見極めて

というかどんなキャラならその会社で有利になれるかを見極めて

そのキャラに沿った行動をすることで一貫性のある社会の自分を作り上げることができる。そうやってなりすますのが社会の中で生きていく合理的な選択です。

 

過去の行動と今の自分を分けて考えること

過去のできごとに引きづられてしまうのは人間誰しもがあると思います、

罪悪感を感じると行動ができない

過去のトラウマから部屋から出ることができないetc

そんなかんたんなことではありませんが、

過去の行動から生まれた結果を今の自分のせいにしても何も生まれません

それどころかもっと苦しくなるだけです。

 

プライベートな自分は自分に極力嘘をつかないことです。

そして余裕ができたら人に優しくするコト。

社会の荒波に飲み込まれないように

自分で自分を見失わないように

起こった結果を過去の自分の行動として反省するコト

すべての人の人生が少しでも前に進めるように・・・

 

おわりに

この記事を書いてから1週間

自分で見返してみた時に

何言ってんだこいつってなりました。

 

生きることに価値を求める必要はあるのか?

そもそも生きているだけでいいじゃないかと

しかし高くなったプライドから自分が自分を苦しめようとします。

 

自分で自分を俯瞰できるからこそ

この状況に感謝”しなければならない”と思う

感謝すれば良いことばかり見ていけばこころも落ち着くんです。

 

けどそんな状態くそくらえだって思うこともあって

ふざけんじゃないよと

何が感謝だよ

そんなのいちどもおもったことないくせに

口だけで感謝感謝って

嘘ばっかつきあがって

 

どうせ裏切るんだから

自分を自分でコントロールできないうちは

人付き合いやめといたほうがいいんじゃない?

 

そんなこんなで今日は仕事を休みました(2020/07/06)

昨日僕が一番尊敬している方に電話しました。

その方からも正常な状態ではないということだったので

メンタルクリニックに通ったほうがいいと

言ってもらいました。

僕自身も思うのでメンタクリニックに通おうと思います。

 

誰か東京でいい病院ある人は教えてください。

 

では

 

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